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NHK大河ドラマ『西郷どん』を見て明治維新を考える

徳川時代から明治維新へと移り変わった時代を大河ドラマで知る

京都に行ってきました。実家が京都なので帰ったという方が正確かも知れませんが東北出身の妻や横浜育ちの娘は旅行気分で嵐山や祇園などを楽しみにしています。京都観光編は次回にして、NHK大河ドラマ『西郷どん』を見て明治維新を考えてみたいと思います。

 

蛤門

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徳川の時代はどこで衰退したんでしょう

徳川家康が天下統一後は金銀など多くの財を成して、またそれを多く使うことで景気の良い時代を迎えました。戦もしないように参勤交代を代表とする地方への管理を江戸で行うことで簡単に言えば悪い奴や裏切りものを排除することで秩序を保っていきました。しかし5代目吉宗あたりからは少しずつ財政難が起きます。平和な世の中と好景気から人口も増えますが、景気が悪くなってくると享保の改革や寛政の改革、天保の改革などを行いますがそれは徳川家の財政のためであって好景気にはなかなかつながりません。このドラマでは幕末には徳川家は財政が厳しい状態のまま、世の中も不景気であったことから不満を爆発させてしまい討幕ということが現実的になってきた時代を先々週までやっていました。

 

八重の桜、花燃ゆ、西郷どんなどこの時代の大河ドラマは嫌いです

幕末から明治の時代を生きた人の大河ドラマは最近ではこれでしょうか。これ以外は戦国時代の『真田丸』や『軍師官兵衛』でしたね。もっと古いものでも面白かったものは多くありますが、実は私はこの幕末から明治の時代のドラマはみていますが好きになれません。京都の町を焼き払い最悪の状態にしたこの戦の数々がどうしても納得いかないからです。『八重の桜』では会津藩の言い分を中心にドラマ化されどちらかと言うと薩摩長州はひどいことをしたように扱われましたよね。これに対して『花燃ゆ』では長州藩が吉田松陰などひどい扱いを受けたにも関わらず頑張り討幕し明治維新を成し遂げたという内容でした。今回の『西郷どん』ではここまでの展開では西郷隆盛の活躍で日本を良い方向へ導いたが内戦の責任を取り薩摩に帰るが今後どうなるのか、ということですよね。歴史的に今後どうなるかは知っていますが、この時代どう生きたら本当に良かったのか考えてしまいます。

 

 

民主主義になったようでそうではなかったのでは?

徳川家の天下統一という名のもとも独裁では、利益を独占しようとするところが多く侍でしかも地位の高いものだけが贅沢三昧の時代だったように思います。しかし明治以降はどうなんでしょう。

当初徳川家を倒して新しい時代を作ろうとした人たちの志は素晴らしかったと思います。しかし武器を手に入れる手段などからイギリスやフランスなどから植民地扱いを受けかねない状態になってしまいます。薩摩や長州はそれらからも日本を守らないといけないと四苦八苦していました。

明治に入ってからは天皇を東京に移したり、財閥として動いていたのは薩摩長州の人が多かったと聞いています。

 

その後多くの戦争を日本は経験しますが、『敵は必ず殺せ』『多少の犠牲しかたない。死ぬのは侍の冥利に尽きる』というような討幕の時代の考え方が第二次大戦まで続いてしまいます。最終的には特攻隊ができるという結末を迎えたことから言えるのではないでしょうか。

 

戦争はこの時代しかたなかったのかも知れませんが、私は薩摩藩と長州藩の人たちが大きな力を持ったのち、その後の戦争大国に日本をしてしまったのではないかと思っています。

 

それは幕末に戦った人たち坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰、勝海舟、土方歳三、高杉晋作など名を揚げればきりがありませんが、それぞれ違う考えだったとしても望んでいた世の中ではなかったのではないでしょうか。

 

私はそれは全て長州藩が始めた内戦のやり方が間違った始め方だったのではないのかと思います。

 

勝手な私の時代への意見でした

 

ドラマとしては嫌いな『西郷どん』は毎週「あ~面白くない」と言いながら見ています。『花燃ゆ』の時もそうでした。

 

そんなことを考えながら京都御所を眺めています。

 

別の意味で厳しい現代ですが、昔からすれば夢のような現代なんでしょうね。