ナツボンのお休みだからどこに行く

知らない街を散歩するのが好き。横浜を中心に旅をして行きます

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自立っていう感覚はないままの一人暮らしが始まった

昔を思い出して

私が親元から離れたのは昭和59年の3月でした。

京都の実家から新幹線では楽しくないという理由で、夜行の寝台列車で東京に来たのはもう35年も前なんですね。チェッカーズがデビューしたばかり、アメリカ国外で初のディズニーテーマパーク東京ディズニーランドが1周年を迎えるという頃です。

その電車の中では東京の大学を出て島根に帰る人と同じ席になり東京の話を聞いてわくわくしました。その方は島根に就職が決まり東京のアパートを引き揚げに向かうところでした。初めて一人暮らしを始める私に、東京ディズニーランドはとても楽しくて今までにない遊園地だよと言われたこと、東京の物価が高いこと、美味しいものがあまりない(口に合わない)などいろいろなことを教えてくれましたがわくわく感いっぱいの私にはほとんど耳に入りませんでした。

 

朝になり電車が東京に近づき「よこはま~よこはま~」のアナウンスと横浜と書かれた駅の文字を見て背中に何かが走ったことをよく覚えています。「横浜銀蠅」「ブルーライトヨコハマ」「よこはまたそがれ」の横浜だ、と訳の分からんことを言ったような気がします。

 

ただその時、東京ディズニーランドに全く興味がなかったのですが、その方に「もし結婚してもいいって思える人ができたらその人とディズニーランドいく。それまでは友達に誘われても行かない」って言ったことだけはよく覚えています。ちなみに今の妻以外の人とはディズニーランドに行っていません。18歳の誓いを今だ守っています。

 

大学に行くための上京

奨学金とか考えないままの大学受験で学費も生活費も自分で賄うことで東京にきました。決して家が超貧乏とか仲が悪いわけではありません。苦しい時にはずいぶん助けてもらったので自立と言うには半自立だったかも知れませんね。最初に住んだところは池袋でした。バイトで貯めたお金の半分以上を契約に使っての部屋の契約で風呂トイレなしの小さなキッチンしかない学生専門の部屋でした。そこが私の一人暮らしの始まった場所でした。そこで自分だけの力で東京で大学を出て仕事をしてここでの暮らしをやっていきたいという気持ちがものすごく強かったように思います。

 

自立とは?

自立って意味は親からの巣立ちのことでしょうか?どこまで行っても親から自立は難しいものです。それとも一人暮らしを始めてから自分で時間や行動を決められることを自由と思うことでしょうか。これは自由をはき違えていることと気づくまで数年かかりましたね。

私も家を出て仕事を始めて自分でご飯を食べられるようになった時「自立している」と思っていました。人から見てもそうなのかも知れません。そして毎週末には渋谷新宿に出かけて朝まで遊ぶそんな毎日が数年続いてました。そんな毎日を過ごすと思い出ってないんですね。私は19歳から22歳までの間は楽しくてたまりませんでした。お金もそこそこはあり時間もあり楽しい時間でした。これを自立したとは言いたくない理由があります。その時間の思い出があまりないんです。確かにスキーに行ったりバーベキューしたりたくさん遊びましたが思い出の記憶が薄いんです。

そんな毎日を「私の楽しい自立」と思っていました。

しかしどこかにそうでない部分があります。

 

では自立したって時はいつなんでしょうか?

 

私が自立と言っていいかなって思った時は、父が60歳の誕生日に私がシンガポールに旅行に連れて行きました。この時買い物できるようにお金を渡し、すべてを私が用意しました。それまではどこに行っても、食事でも買い物でも私がお金を出そうとすると「払わなくていい。ここは私が払う」と決して私に払わせることをしない人でした。缶ジュース一本でも払おうとして、自分で買うと「なんで飲みたいって言わない」と怒られました。そんな頑固な人がこの旅行から初めて「お世話になるよ」と言ってくれました。

今でも実家では昔と変わりありませんが、この夏一緒にラーメンを食べたとき私が「ここは払うから」と言うと「じゃあ頼もうかな」と言ってくれました。

 

今考えたら、あのシンガポール旅行からやっと父との関係が変わった時だったように思います。

 

本当の自立って、もしかしたら自分の家族や親せき、友人など周りの人が安心してみていられるようになった時が本当の「自立した」って言える時なんだと思えるようになりました。

 

私はもう少し「自立」に時間がかかりそうです